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1. メキシコ独立記念日(9月16日)の休日を利用してグアダラハラに旅行に出かけました(アエロメヒコ便)。ホテルから、たまたまお祝いのパレードを見ました。郊外にあるチャパラ湖(メキシコ最大の淡水湖、琵琶湖の1.6倍の広さ)に行きました
メキシコ独立記念日お祝いパレード
2. 9月19日午前7時過ぎ、食事をしていると、建物が揺れ始めました。みんな外に出ました。かなり長い時間、ストロークの長い横揺れがありました。プールの水は溢れ、木々は大きく揺れて、枝が葉っぱをなびかせていました。幸いにも建物の損壊はありませんでした。それ以来、市外通話は不通になり、年末まで、日本への電話通話が不通になり、通信は、テレックスのみとなりました。メキシコシティーの電話局の建物が損壊(二棟の建物が腕で繋がれていて、その腕が損壊)していました。メキシコシティーでは建物の崩壊が見受けられました。メキシコシティーのソナローサ地区が特にひどく被害を受けたようでした
電話復旧の寄付も募っていました。日本の家内に無事の報告を手紙でしました
3. 地震当日の朝、日本に帰る出張者がいて、メキシコシティーのホテルで地震に遭遇しました。また、出張者見送りのため、車でシティーに入った人もいて、信号機が止まっており、相当混乱したようです。当日のフライトは問題なく実施されていました
4. その後未明に日本に電話をすると通じることがあるとの話を聞き、何度も電話をしました。「今混雑しているので、後から電話をして欲しい」との機械的な回答がありました。CONGESTADA(混雑している)という言葉も馴染んできました
5. 地震発生の一週間位前から、午後4時に爆弾を仕掛けたという脅迫電話が工場に入るようになっていました。その都度、操業を停止させて、工場外に皆避難していました。実際の爆発は発生していませんでした。地震当日の午後4時にも、爆破予告が入っていました。夕食時に工場長と会話をしていた時、私が工場長に「本日は市外通話が不通であり、市内からの電話ではないか」と告げると、そうか、それでは市内在住者に当たりをつけ、予告電話者をチェックするとのことで、警察と連携し、対策を講じ、それ以降、予告電話はなくなりました。この時が工場長からお褒めの言葉をいただいた最初で最後でした
爆破予告の避難から解除されて工場に帰る従業員

6. 毎晩数時間の雷来襲で、道路は洪水になってきます。秋になると夜明けに移行して乾季が来ます
7. 乾季になると、ブーゲンビリアの花が奇麗になって咲き誇ります。クエルナバカ寮は年末までで、年明けから、山の手のホテルに移動することになりました。出張者は私を入れ、2名のみが正月をホテルで迎えることになりました
8. 10月に仲間3人とアカプルコに2泊で行くことになりました。車を利用し、クエルナバカを朝出発し、5時間位要したと記憶している。アカプルコに入る手前で検問がありました。素通りしようとすると、銃口が私達に向けられた気配を感じ、急ブレーキをかけ、検問を受けました。麻薬の取り締まりのためではないかということでした。アカプルコは蒸し暑く、半パンにならなければ、過ごせない状況でした。ホテルの食事は美味しく感じられ、睡眠も深く、SEAレベルになると、こんなにも違うものかと思ったものでした
宿泊したホテルの前で撮影
9. 翌日早速、海辺でゆったりとした時間を過ごしました。当時、皆、パラセーリングをやっていました。当方も思い切って、やってみました。装置をセットしますと、有無を言わせず、船で引っ張られ、空中に待って、上に向かって海面からかなり高く舞い上がりますが、下は海だけであり、怖さは感じませんでした。友達に写真を撮影してもらいました
パラセーリング; 海上高く舞い上がっていました
パラセーリング; パラシュートセット完了
パラセーリング; 離陸完了
パラセーリング; 上昇
10. クリスマス休暇は家族が来墨しました。メキシコシティー(ソチミルコ、テオティワカン遺跡)タスコ、グルータス、アカプルコ(闘牛、ラ・ケブラーダ)などを案内しました
ソチミルコ; 水上遊覧
テオティワカン遺跡1
テオティワカン遺跡2
テオティワカン遺跡3;塔の頂上からの眺望です
銀のまちタスコ
タスコに行く途中の風景1
タスコに行く途中の風景2
アカプルコ; 闘牛
アカプルコ; ホテルから見た海岸の風景で前方にラ・ケブラーダ(飛込)があります
アカプルコ; 皆で海に入ってみました。海底の沖に向かう引き潮が強く、足がさらわれそうになりました。アカプルコは入江になっていますので、周囲の山が後方に写っています
アカプルコ; ホテルのプールの方がより安全です
KEY WORDS
1. 1895年メキシコ地震
2. 工場爆破電話
3. 毎晩の夕立
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